愛あればこそ

愛あればこそ

宝塚愛をこじらせたヅカヲタの戯言

“再演”についてつらつらと

「初演を汚すな」
「まさおや今の月組には無理」
「絶対観たくない」
「信じられない」
「初演は超えられない」
 
今回の『PUCK』再演にあたり実際私が各所で目に耳にした手厳しい意見です
『PUCK』だけではないですよね
オリジナル作品の再演時にはいつも似たような言葉を耳にします
 
 
まあ、わかるよ
 
わたしもそちら側の立場に立ったことあるし
 
だからこれらの意見を否定するつもりはないしそれどころか気持ちはよーーくわかる
 
 
でもね、初演超えられなくて当たり前だし
こっちも超えようなんてこれっぽっちも思ってない
そもそも超える超えないで語るもんでもないし
 
ただ、与えられた“再演”という機会を最大限良いものにしようと組子は必死に舞台を作って
まーお前誰だよってなこと言ってますが
だから相対評価ではなく絶対評価で判断して欲しいな、とは思う、うん、少しだけ(弱気)
 
 
てのが再演側の一ファンの意見
 
 
 
で、今度は逆の立場に立ってもう少し本音で語ってみることにします
 
 
まあ実際この10年くらいの間で逆の立場を複数回経験しまして
 
再演の話を聞いたときはぶっちゃけやっぱり心の奥の方にもやもやーっと晴れない何かはありました
やっぱり人間だもの(相田みつを自分の贔屓が一番だし贔屓が演じた素晴らしい役、作品をそのまま記憶に閉じ込めておきたい
 
って思っちゃいますよね
私も例に漏れずそんな感じでしたもん
 
で、ブースカ言いながら当時再演を観ての結論は
演者が良ければまあ再演も良し
でした
 
そうなんです、再演することそれ自体にはさほどアレルギーはないんです
一番大事なのは、誰が演るかだと思うんです(少なくとも私は)
初演への思い入れが強ければ強いほど、特にこれ重要だと思うんですよ
 
 
実際、再演した演目のひとつは、キャストに不服はなく、同じ脚本演出でもまた違った舞台に見えて、(こんな演じ方もあるのか...ふむふむ)と逆に新鮮で面白かったです
初演再演関係なく作品として楽しめたし、
初演を観ているからこその“比較”ではなく“違い”を楽しめました
 
(そして悲しいかな別の演目については再演キャストを全く受け入れられませんでした...これは初演再演云々以前の問題でどうしても好きにはなれなくて...まあ今言うことではないですねごめんなさい)
 
 
え?ここまで読ませておいて“結論:好みの問題”で終わらせようという気ですか?
まったくなんの役にも立たないブログですね...(今に始まったことではないです)(開き直るんですね)
 
 
でも再演ってどうやって決めるんでしょうね(話逸らしましたね)
まあ、最終的には劇団幹部の決定なんでしょうけど
彼らを動かすものってやっぱり
 
初演の評判
再演への要望
再演キャストの作品との親和性
 
なのかなと
 
まさか過去のオリジナル作品並べてあみだくじとか鉛筆転がしたりとかはしてないと...思い...たい...(え?してませんよね???)(まさかね...)(※してません)
 
 
まあ、問題は最後の「再演キャストの作品との親和性」ですよ
”どれだけその役に合っているか”です
 
もちろん、そんな主観的なこと人によって感じ方は様々だと思います
 
だとしても初演でそれぞれの演者に“アテ書いた”役を再演で別の演者が演じる以上は
(初演と比較する必要性は全くないけれど)初演キャストの色と質をなるべく違えない、
そんなキャスト陣を満を持して布すべきだと(だってそもそもアテガキなんだし)思うんです
 
「組」そして「(トップ)スター制度」という縛られた枠組みの中でこれをやるのは相当大変だと思います
 
それでもなおその難関を乗り越えて世に出た再演作は
もうそれで独立したひとつの素晴らしい作品です
その作品自体、その演者自体を観て、感じて、論じたいなと
 
 
 
だからまあ何が言いたいかというとですね、
 
比較なんてなぁんの意味もない(ルパン風に)
 
ってことです
 
初演はいつまでたっても偉大かつ絶対的なものです
だからいちいち再演と比較して再演を下げることで初演を上げることしかできない人は
本当にかわいそうな人だなーと思います(自分への戒めも込めて)
 
それぞれに、良さがある
 
それぞれの良さを認めたうえでの比較ではない「批判」は大いに結構だと思いますけどね
 
 
 では『PUCK』観に行ってきます(また行くんですか)