母のこと
(今の気持ちを書き留めておこうと思います。暗い話なのでスルー推奨。)
母が亡くなった。
もし母が亡くなってしまったら、わたしはいったいどうなってしまうんだろう。母の死が、いつかは絶対に訪れる母の死がずっとずっと怖かった。
病に倒れた母。もうそう遠くない将来に現実になるんだと覚悟はしていたけれど、やっぱりそれはあまりにも突然で、いつその日が来ても大丈夫なように心の準備をしていたはずなのにそんな準備は全く役に立ちませんでした。
死に目には会えませんでした。でも取るものとりあえず駆けつけて握った母の手はまだあたたかくて、私が手を強く握るたびに脈が振れるのか「ピッ」と計器の音が悲しく鳴り響いて、まだもしかして生きているんじゃないか、もしや息を吹き返したのではないかと往生際悪く期待してしまう自分がいたりもしました。
でも口元にかざした手に呼気の感触はなく、心臓に触れてみても鼓動はもうなくて、母の死、というものを呆然と感じとって血の気の引いた母の黄色い手を握ってちょっとだけ泣きました。
苦労して私を育ててくれた母。それなのに「娘だから」という自信と甘えでいつもぞんざいに扱ってしまっていた十代。「女三界に家なし」という厳しい言葉をありがたく受け止めた二十代。自身が母になってやっと母のありがたさを知った三十代。
「孝行のしたい時分に親はなし」良く言ったものです。親のありがたみがわかって今までの恩を返そう、母に孝行しようと思った矢先の発病。結果、なんの孝行もできず母は旅立っていきました。
母の作るカレー味のきんぴらが好きでした。
ちょっと芯の残るじゃがいもの千切りが絶妙でした。
ティッシュの切れ端を紙縒りにして器用にバンビを作ってくれました。
七五三と成人式にはゆいわたを結ってくれました。
還暦を過ぎてから原付の免許を取って乗り回していた母。
還暦を過ぎてから日舞の名取を取った母。
社交的でいつも人に囲まれていた母。
幼い私を宝塚とSKDに連れて行ってくれた母。
母と一緒に宝塚を最後に観たのはかりんちょの舞台でした。
母の姿を忘れないように。母の声を忘れないように。
荼毘に付される前日、棺の真横に椅子を運んで棺の中の母といろいろと話をしました。
棺の中の母は穏やかな優しい顔で、うっすらピンク色に染まった頬を何度も撫でては母の肌の感触を手のひらに焼き付けました。母の好きだった着物と帯を纏い、たくさんの花に囲まれた母はまるで少女のようでとってもかわいらしかった。
最後に病に倒れるまでは大病をしたことがなかった母の骨は年齢にしては丈夫で、量も多くて、骨壺に入りきらないほどで、そう言われてなぜかちょっと得意気になる自分がいて、少し笑ってしまいました。
娘に、母を失うということを教えました。いつか貴女が私の死をもって体験する日がくるということも。母の冷たくなった頬を、そして火葬されて遺骨になってしまった母の骨を、触れて、見て、なにかを感じとったようでした。
今、母は家にいます。ちいさな骨壺に収まって。わたしがぐうたらしていると「ちょっとはテキパキ動きなさい!」という声が聞こえてきそうで、その声を探してしまう自分がいます。
母の死。意外と冷静に対処できたと思うけど、でも泣いていいよと言われたらいつでも泣ける自分がいるのも事実。自分のルーツが無くなってしまったような虚無感に襲われることもあります。でも家族が、友人が、仕事が、そんな私を放っておいてくれません(笑)。ありがたいです。
今はただ、母の人生が幸せなものであったらいいなーと願うばかりです。